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役員寄稿
  「博多祇園山笠の内部統制とそのサステナビリティ」 (第132会報)
日本タングステン株式会社
取締役 常勤監査等委員 今里  州一

 入社以来技術・製造に携わり主に超硬合金の開発~製造を担当してきた。50 代では海外勤務も経験し、日本を、また当社を外から見る機会も得られた。アラ還を迎えたころ、突如として監査等委員を拝命し会社を違う方向から見ることになった。

 現在の企業には利益・成長はもちろん社会的責任、全てのステークホルダーとの信頼関係を築くことが求められる。そのための運営には、会社法での「内部統制」の整備、金融商品取引法ではその報告書提出が義務付けられている。また昨今では、その会社自身はもちろん環境・社会・経済(ESG)など多岐にわたる貢献、持続可能性「サステナビリティ」が求められ、今期より有価証券報告書へもその開示が必要になった。現在監督側にいる監査等委員としては、これら内部統制の整備、運用状況を監査することになるのだが、最近つくづく思うことがある。

 それは、博多に夏の到来を知らせる祭り「博多祇園山笠」である。縁があって20 代から海外赴任前まで参加させて頂いた。この博多祇園山笠の組織、運営が企業のそれとよく似ており、ガバナンスの効いた内部統制が整備されている。それにより700 年以上も続く「サステナビリティ」を有しており、見習う点が多いということである。

 博多祇園山笠(山笠)は、博多の総鎮守・櫛田神社の奉納神事で、毎年7 月1 日から15 日にかけて開催される。高さ10m 超の「飾り山笠」と「舁き山( 笠)」(山)から構成され、15 日の早朝、約5km を疾走する「追い山」でクライマックスを迎える。

 山笠の起源は鎌倉時代1241 年、博多で疫病が流行した際に承天寺の開祖・聖一国師が町民の担いた施餓鬼棚に乗り祈祷水を撒き疫病退散をしたことを発祥とする。1587 年には豊臣秀吉による「太閣町割り」で、現在の山笠の「流」(グループ)の前身が形成され、現在の土居流・恵比須流・大黒流・東流・西流・中洲流・千代流の七流へと変遷している。江戸時代1687 年土居流が東長寺で休憩中、石堂流(現在の恵比須流)に追い越される「事件」がおき、このとき2 つの流が抜きつ抜かれつの競争となり、スピードを競い合う「追い山」が始まったとされている。山笠は幾たびかの戦火、疫病(コロナ禍)を乗り越え、700 余年もの悠久の時を刻むことが出た、そのサステナビリティを考えると、この山笠の内部統制は、今 我々が生きる社会・会社存続の参考になるとに思えるのである。

 山笠の運営組織は階層構造になっており、会社組織と似ている。山笠振興会の下、七流が所属、流は7 ~ 10 の町(一つの会社)で構成され、町ごとに役職、総務、山笠委員、町総代、取締、衛生そして赤手拭(あかてのごい:中間管理職)、一般手拭い(一般社員)でなり、手拭いの色・模様で役職が表される。一つの流は700 ~ 1000 人超で構成され、その運営ルール、会社でいう定款、規程類が整備されている。各町には長老がおり監査役としてしっかり監督機能も効いている。
 
 赤手拭は実働役として活躍し、山の担ぎ方、礼儀作法、経験を積み、町内で認められた者だけがこの赤手拭いを受け取る事ができる。また、一般若手の指導等も担当しており、リーダー的役職、会社で言う「頼れる係長・できる課長」でもあり、「赤手拭いが務められん者には娘を嫁にやれん」と人材育成の象徴にもなっている。こうやって公私にわたり若手が研鑽し成長していく姿は、企業における人材育成~人的資本経営へもつながるものがある。

 博多祇園山笠には「舁き山」と「飾り山」があるが、もともと区別はなく、高さ10m にもなる飾り山が博多の町を駆け抜けていた。電線を切断してしまう事故が相次ぎ、祭事存続のため高さ制限し舁き山の形が定着、「動の舁き山」「静の飾り山」としてその魅力を伝えている。やはり山笠の魅力は勇壮さ、統制の取れた動きから「舁き山」に象徴され、企業活動で言えば、会社を支える生産活動と言える。企業活動では規定、作業標準が整備されているが、同様に山笠運営でも厳しいルール、禁則、技能習得の必要性が設けられている。

 まず山笠の構造であるが、そこにも数多くの伝統と職人の技が受け継がれている。飾り人形が乗る山笠台(山台)は、一本の釘も使わず麻縄で締め上げ組み立てられている。山台は担ぐための6 本の棒(舁き棒)が前後通しで取り付けてあり、左右とも外側から内側に向かって「一番棒」「二番棒」「三番棒」と数え、各棒に2 人ずつ付いて、山台に近い「台下」と棒先の「棒鼻」からなる。

 例えば進行方向を「表」と呼び、左側3本を右肩で担ぐことにより「表右肩一番棒台下」、後方を「見送り」と呼び、右側3 本は左肩で担ぐことにより「見送り左肩二番棒鼻」などと呼ぶ。各棒24 人+両サイド2 人 計26 人のポジションでその役を担う。

 山の後ろには、推進力となる「後押し」が十数人ついてスクラム状で山を押す。山を担いで走ることを「山を舁く(かく)」と言い、ポジションに入ることを「棒に付く」、担ぎ人を「舁手(かきて)」、期間中仕事を忘れて熱中する舁手を「山のぼせ」と呼ぶ。

 山を舁く方法にも様々なルールがある。追い山では約5km のコースを止まらずに30 分足らずで走り切る、山の重さは約1 トン、1 人当たり約40kg を担いで力を振り絞って走ることになり、せいぜい30 秒くらいしか体力がもたない。山を止めないように各ポジションで順繰り交代しながら進んでいく、TV で見ていると舁手は雑然に、好きなように棒に付いているようにみえるが、実際は厳格なルールの基、しっかりと訓練された技の上に成り立っている。交代が簡単な位置、見栄えが良い位置に人気が集中するが、それでは山は早く走れず、全ポジション均等に舁手を配置する必要がある。

 山の構造上、舁き棒は外側から内側へ向かって低くなるよう設計してある、また山を舁く場合、その運動性から前上がりとなり各ポジションで棒の高さが変わっている。事前に「肩合わせ」と言って、舁手の身長によって、またどちらの肩で舁く方が強いか(利き手、利き肩)により棒に付ける位置がほぼ決まっている。各流れ、町では、ポジション毎に舁手を配置、不足するポジションには教育し配置していく。これは企業製造現場での適材適所への人材配置、工程間の人の偏りを無くす「多能工化」に通ずるところである。

 山の実動には、2色の布をねじった「ネジネジ」と呼ぶ「たすき」の色で決められた役割(交通、台上り、鼻取り等)があり、数百人の舁手を統制しながら総力で山は動く。舁手の交代にも技能を必要とする。山は走りながら窮屈な場所、複雑な動線で交代していくのだが、突進する1 トンの山笠の前で転倒すると怪我ではすまない。それぞれのポジションで交代するルールで成り立っている。ルール違反すると事故の原因となり、その技能を習得し、初めて「棒に付く」ことが許される。製造現場でもそうだが、山笠は奉納行事であり「安全第一」である。安全対策も整備されており、山台構造、舁手の装束、水法被、締め込み、舁き縄、勢水とそれぞれ安全対策上の意味がある。

 追い山が終わると、山は当番町へ帰り、博多祝い唄、博多一本締で終わる、舁手達の目にはその達成感、充実感で涙が溢れる。山笠行事自体、無償の行為だがそのエンゲージメントは高い。山笠は700年以上も続くサステナビリティを持っているが、環境面で考えると、その活動資源は人力によるカーボンニュートラルであり、山笠自体一本の釘も使わず、古来の方法で組み立てられ環境にも優しい。組織、運営上の内部統制(ルール)の整備、実際に山を動かすための人材配置、人材育成、人的資本の確保、これら全てが社会の平和・繁栄を祈る奉納行事としての社会貢献であり、企業の「サステナビリティ」を考えるうえで見習うべき点は多い。

 こうやって山笠を考えてくると、さて我々の会社・社会、これから700年持続可能(サステナブル)であろうか?
(以上、筆者の経験、個人的意見によるものです)

     
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