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寄 稿
  「自分を育ててくれたトクサイ」 (第135会報)
株式会社トクサイ
取締役 土田 信浩

 おかげ様で弊社も創業より73 年となりました。弊社の歴史はクリスマス電球用フィラメント製造からスタートしており、主要な製品構成の変化はありましたが皆様のお陰で今日まで事業を継続することができました。

 当時国内でタングステンの細線伸線事業はほとんどなく、クリスマス電球用フィラメントも輸入に頼っていました。米国からの輸入を食い止めること、あらゆる金属を細線化することを目的として創業者である飯高康三氏により特殊細線研究所として昭和25(1950)年9 月、東京都品川にて歴史を刻み始めました。

 昭和42(1967)年に新工場建設の機運も高まり、創業者の出身地である新潟県長岡市での操業が始まりました。おかげさまでその後も同市蔵王工場移転、同市南陽工場移転を経て、40 周年( 平成3年) の際に現社名である「トクサイ」へ社名変更し今日まで続いております。

 私は昭和60(1985)年に入社し、以来タングステンの極細線伸線、電解研磨などの製造や管理を約20 年間担当しておりました。入社当時は「タングステン」という金属材料は知っていたものの、極細線として加工する特性もわからずに、ただひたすらにダイスの穴へタングステン線を通し、その当時生産の多かったボロンフィラメント用、蛍光灯用フィラメント用の部材を伸線していたことをよく覚えています。

 当時、繁忙期には残業、休日出勤、夜勤とひたすらに働いていました。忙しいと仕事について色々考えるもので、伸線とは、タングステンとはと日々考え、材料や副資材、機械設備についての理解を深めることができた重要な期間であったと思うとともに、諸先輩方からの厳しくも丁寧な指導が現在の私の根幹をなしているものだと感じております。

 製造現場から離れた今でも思いますが、タングステンという材料は奥深く、まだまだ技術を追求できるもと思っています。創業者の飯高氏も引用されていましたが、「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」奥深い材料であるタングステンにこれほどふさわしい言葉もないように思います。

 特に技術の開発などは思い通りにいかないこともあり、むしろ思い通りにならないことの方が多いです。ですが、ブレイクスルーは緻密な観察、経験によるものによって起きるものと考えます。そして、最後に必要なのが、「為せば成る・・・」というどうしてもやり遂げるという強い意思ではないかと思います。創業に際し国内にない技術へ取り組んだ当時のメンバーを想えば今後の発展への意思を強くする次第です。

 弊社は福利厚生や地域貢献にも力を入れております。南陽工場移転の際には喫煙タイム( 当時就業時間中の喫煙が当然で、くわえタバコで伸線なんてことも日常茶飯事!(笑)) の設定、予防接種の推進・補助( インフルエンザについて以前、今の言葉で言えばクラスター起こした苦い経験がある) など同規模の事業所に比べて多様であるのではと自負しています。

 地域貢献の一部としてコロナ禍により中断していましたがクリスマスイルミネーションの再開(残念ながらLED 照明ですが…)、地元サッカーチームであるアルビレックス新潟へのサポートや地元長岡市出身のスキー選手で北京冬季オリンピック代表であった古野慧選手への支援などができるようになりました。

 さらに、弊社所在地である長岡市にて毎年8 月2 日、3 日に開催される長岡まつり大花火大会は日本三大花火大会に名前が挙がるほどの規模であり、特に中越地震の復興を祈念して始まった打上げ幅約2km に渡る「フェニックス」や直径650m もの大輪の花を咲かせる「正三尺玉」が有名です。弊社も70 周年を迎えた際の取り組みとして長岡花火でトクサイとして単独で花火を上げようという前社長の意向もあり、70 周年に因み尺玉(10 号)70 連発という案もありました。

 何とか70 周年時(2020 年)にプログラム上に個別の大型スターマイン打ち上げ枠は確保できたものの、コロナ禍により花火大会の中止が決定し、70 周年に打ち上げることは叶いませんでしたが、紆余曲折あり2022 年に再開された花火大会にて周年祈念花火を無事打ち上げるという目的を達成することができました。

 このような福利厚生や地域貢献も創業より培われた社員ファースト、地元ファーストという企業風土によるものではないかと思います。また、経験や技術を次世代に向けた教育、継承ができるよう、環境づくりをしてきた諸先輩方には感謝の言葉もありません。

 ここまで培われたものを次の世代、更に次の世代にまで途絶えさせずに伝えていくことが自身に求められていると、考えることが多くなりました。前述しましたが、私は何もわからないところから始まりました。

 当時の先輩方、上司の方から、手取り足取り教えていただいたことをよく覚えております。現在は後輩たちに私の知識・経験をすべて伝えることが使命と思い日々の励みにしています。

 最後となりますが、このような活動ができるのもお取引様、従業員一同及び諸先輩方の努力の賜物です。これからも感謝の思いと共に会社の発展を目指していきたいと思います。
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