
東邦金属株式会社
取締役 深川工場 工場長
長谷川 清幸

1975年4月8日・午前11時、北海道・深川駅に到着しました。 長年住み慣れた大阪から約24時間の旅でした。
当初、三ヶ月の研修予定で当時の北海タングステン工業鰍ノ赴任しましたが、オイルショックやその他の事情で、そのまま深川市の住人となり、32年が経過し、人生で最も長くすごした場所になりました(途中、4年間は逆単身赴任で、大阪に居りましたが)。
北海道深川市は旭川市のすぐ横にあり、1月から2月中旬には氷点下15〜25℃にもなる、極寒の地で、運が良ければ“ダイヤモンドダスト”を見ることが出来ます。冬は長く12月末から3月中ごろまでは、週数回の雪かきが必須となります。
夏の海水浴シーズンは7月末から8月初めの約二週間ほどで、ほとんどの家庭には、クーラーはありません。
お米の収穫量は日本で一(〜三位)、そばは日本二位の田園地帯で、春から秋近隣のゴルフ場では北きつねとのご対面もあり、冬はスキー場まで車で20分と、自然豊かなところです。
ゴルフ場は、車で1時間以内に十数ヶ所、土曜日曜も空いており、距離もたっぷりで、フェアウエイは広く、豪快でのびのびとしたゴルフが楽しめます(旭川大雪カントリークラブには2,3ホールしかO.B杭が見えないといううわさも)。
また、管理職の中には、スキーの準指導員資格を取得した人が3名、一級・二級クラスも十数名おり、昨年はニセコ・ルスツ高原にマイクロバスを借り切っての、一泊二日・スキー・ツアーを行いました。私は一日目に急斜面で大転倒、後頭部を軽打、それ以降は初心者に立ち戻り安全スキーヤーに成ってしまいました(写真・左から2人目)。
浪速生れの私から見た、北海道人の人柄は“若干人見知りでしかしながら、心根が優しく、がまん強く、ねばり強く、そして若干がんこ”(日本ハムファイターズ・ヒルマン監督のメジャーリーグへの移籍にも、北海道人は“ありがとう”です。阪神タイガースなら???)。
若い頃には現場の人達の家に、冷蔵庫と酒ビンを荒らしに度々おじゃまして居りました。
この様な深川の人達と、APT(パラタングステン酸アンモニウム)からタングステンワイヤーを製造し、1986年には大阪大学・溶接研究所(現・接合科学研究所)との協同研究で高性能TIG電極材(LW:エルタン、YW:ワイタン及びCW:シータン)の製造を開始。その後、タングステン板やタングステン機械加工品、Re-W・Cu-W等のタングステン合金・複合材の製造を開始しました。
1996年10月に東邦金属と合併し、現在バックライト用Wピンを中心としたW加工品、各種タングステン線、放電灯用電極、その他前記製品の製造を行っております。
さて、今年も雪虫(初雪の前に飛ぶ、白い小虫)が舞い終り、山には所々白い物が見え始め、北の国への変貌をとげる季節と成りました。さあ、今年の雪かきは何十回になるでしょう!