
日本タングステン株式会社
取締役社長 吉田省三
当社の本拠地は福岡市にある。7月になり最大のお祭り博多祇園山笠の季節がやってきた。クライマックスの7月15日の追い山に向けて少し町の中が賑やかで、騒がしくなってきた。
福岡に住んでいると、関東や関西の方からよく博多と福岡の違いを聞かれる。新幹線の博多駅に降り立った人が、駅員に「これから福岡に行くには何番線で乗り換えたらいいんですか」と尋ねたという笑い話もある。博多と福岡が同じ都市だとは知らなかった人さえいたのである。確かに地元に住んでいる人でもその違いは何となく肌では感じているが、明確に答えられる人は少ない。
現在、市は福岡市であるが、新幹線の駅は博多であり、祭りは博多祇園山笠であり、博多どんたくである。また食べ物も博多ラーメンであり、博多明太子である。地元住民は、何の違和感もなくうまく使い分けている。そして博多と福岡が混在しているのも歴史を紐解いてみると、別にむずかしいことではない。
江戸時代から明治の初期まで博多と福岡は那珂川を境として元々は別々の都市であった。博多は商人町、福岡は福岡藩黒田氏の武家町として栄えた歴史がある。明治の初期まで博多と福岡は共存していたが、1876年に地域区分の再編によって、福博という一つの地域区分になった。
さらに1878年郡区町村統制法の施行により、福博が福岡区に改称され、この時点で博多を名乗る自治体は消滅した。1889年に市町村制度の施行に伴い、福岡区が市制を施行する際、市名を博多市にするか、あるいは福岡と博多を再び分離するかといった声も上がったが、いずれも没となり、都市名は福岡市となった。
市制施行の時の名前争いは深刻で、博多派と福岡派の二派に分かれて熾烈な争いが展開された。第1回市議会は名称問題で紛糾し、採決したところ完全に賛否同数であり、最終的に福岡出身の議長の裁決で福岡と決したとのことである。福岡と決まったものの、それまでの争いが熾烈だった分その後も博多はあらゆる所に生き続け、今日に至っている。そして1972年の政令指定都市昇格に伴い、行政区として博多区が設置され、 ここにほぼ100年ぶりに博多の地名が正式に復活することとなった。
いよいよ博多祇園山笠の追い山が迫ってきた。国の重要無形民俗文化財に指定されている山笠は博多の総鎮守である櫛田神社の祭礼である。そしてすでに750年以上の歴史がある。
この櫛田神社は、江戸時代、博多と福岡が別々の町であったときの博多の中心的な神社であった。そして今なお、博多の由来の中心的存在である。1889年の市制施行時、博多派と福岡派が熾烈な争いを繰り広げてからほぼ120年を経過し、今では何事もなかったかのように博多と福岡は同居し、また福岡市民は何の抵抗感もなく自然な形で、この同居を受け入れている。そしてこの事が関東や関西の人にとって分かりにくい複雑な状況を作り出しているのではないかと考えている。
もし、現在の市町村合併でよく見られるように博多と福岡の両地名をとって、1876年の地区区分の再編時のように福博市となっていたら、おそらくこのような混乱は生じなかったと思われる。しかし、多くの地元住民は、山笠は博多であり、黒田城は福岡であって、博多と福岡はややこしくても、調和を取りながら混在しなくてはならないと考えている。
福岡市にお越しになられることがあれば、何かの参考にしていただけたら幸いである。