
株式会社 アライドマテリアル
代表取締役社長 鴻野雄一郎
7月より、野田前理事の後を受け、当工業会の理事を務めることになりました。微力ながら工業会の発展のため、少しでもお役に立てればと念じております。
私は生まれは東京(いまの福生市、ふっさと読みます)ですが、幼少時代からずっと関西で育ち、大学まで関西でした。就職するのも関西の企業がいいなと思いそう致しましたが、入社後どういう巡り会わせか、仕事の内容は変わりましたが、転勤はなく関西暮らしを続けて参りました。本年6月に現職に就き、初めて転勤を経験、東京勤務となった次第です。
転勤が決まった後、さて住居をどうしようかということで、通勤時間30分程度、近くにスーパーなど住環境が整っていることなど、些か贅沢かもしれないいくつかの条件を出し、探してもらいましたが驚いたのは家賃の高いこと。大阪の2〜3倍程度はするのではないかと思いましたが、やはり通勤の便が第一と考え、現在の住いに決めました。もう一つは駐車場も高いことでこれは最初から車を持ってくることをあきらめました。こうやって決めましたところが品川区で電車の駅で言うと京急の青物横丁から徒歩10分にあるマンションです。家を決める際は不動産屋の案内で車で現地に行き、ごく近辺の様子と住いから外の眺め、会社への通勤ルートなどを聞き決めましたので、どのような町かなど殆どわからずに住み始めましたが、その後周囲を散歩して回るなどをしていろいろなことがわかってきました。
家から電車の駅まで行く途中に旧東海道を通っていきます。古い町並みの商店街になっていますが、道の両側に旧東海道と記した趣のある街灯が並んでいます。夜通るとそれなりに風情があります。道の途中に説明書きがあり、このあたりにかつて品川宿があり、幕末、慶応4年の鳥羽・伏見の戦いに敗れた新撰組の隊士が逃げてきて、ここで疲れを取ったなどと記されていました。また、少し西側に歩くと第一京浜道路を挟んで仙台坂と呼ばれる坂があり、もと仙台藩のお屋敷があったと記されています。このあたりの地名は鮫洲(さめず)というところで昔は漁師町であり、将軍に献上する魚が取れる浦の一つであったとのこと。東海道中膝栗毛にも出てきます。
鮫洲から更に南(立会川方面)に旧東海道を歩いていくと、安政3年(1856年)には近くの神社の灯篭に名前が刻まれていたという吉田家という老舗の蕎麦屋があります。今年のお盆休みの週末はこちらにおりましたが、その朝やはり散歩をしていますと、その近くの神社である鮫洲八幡神社の氏子各町内のお祭りがあり、朝6時から大勢の人たちがお神輿をかついで威勢よく練り歩いていました。地区総代と染め抜かれた印半纏を身に纏った格好いいお年寄りが数人居られ、また、きりっと締まった感じのお姐さんが神輿を担いでいるなど、なかなかいいものだと朝からとても良い気分でした。まだまだ昔からの伝統を守っているようです。
このようになかなか雰囲気の良いところですが、生活の便も非常に良いことが住んでみてわかりました。家のすぐ前に都バスの停留所があり、ここから品川駅行きが頻繁に出ています。品川駅まで約10分ですが特に時刻表を調べなくとも大体5分以内の待ち時間で乗れます。休みの日に良く利用しますが御年寄りの方も多く乗っておられ、車がなくともまったく不便さを感じません。羽田までは京急でも勿論行けますが、歩いて5分のところから空港行きリムジンバスが出ています。もう一つお台場を通っている東京臨海鉄道というのがあり、これも家から5分で駅がありJRの大井町から渋谷、新宿方面へ一本で行けます。仕事柄出張の多い私としてはこれは何物にも変えがたい有り難さです。
さて、私の東京生活にまつわる身辺の雑事で紙面を使わせていただきました。私どもの事業は勿論タングステン、モリブデン材料を使った各種製品で成り立っております。現職に就きましてから多くのお客様にお会いし、また、製品の用途を聞くにつれ、改めてこれらの材料が他では代替できない優れた特性を持っており、有用なものであることを認識しております。また限られた資源であることは周知の事実です。それだけにこれを有効活用することが特に大切なことであろうと思います。新たな製品や技術の開発を進め適用領域を拡げていくと共に、リサイクル、リユースなど資源の有効活用の技術開発を進めてまいりたいと思っております。今後ともよろしくお願い申し上げます。